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炎天の関東遠征 その一 二部

  • 遠林健一郎
  • 2017年9月27日
  • 読了時間: 5分

間が大分空いてしまったけど、成田祇園祭の様子を続きから書きたい。

甘味処を出ると、坂の頂点、仲町Y字道路はたくさんの観客で溢れていた。

提灯のたくさん飾ってある、上の薬師神社境内は坂を真正面から望める場所で、ぜひ陣取りたかったのだけど、報道関係のみみたいで残念無念。

仕方なく人混みに紛れる。

神社の神輿が上ってきた。

連日の炎天下のせいか、氏子たちも顔が真っ黒に焼けた人々ばかり。

それでも、皆笑顔に溢れ、テンションは高い。

写真の漢方薬局付近に陣取る。

ほぼ身動きは不可。

それでも、三脚を立てて待っている強者も。

来た来た。

総引きが始まった。

まずは花崎町。

駅の前で止まっていた山車?だ。

成田では確か、人形が乗れば山車、人形がないのが屋台らしい。

載っているのは「八幡太郎義家」。

ゆっくりゆっくりと上がってくるのだけど、合図を境にスピードをつけ勢いよく曳き上げられる。

続いて上町。

これが、屋台だと思う。

突破風の屋根を持ち、なかなか立派な彫り物が施されている。

いかにも関東らしい屋台の気がする。

何やら大きな扇子を掲げる人たち。

「手古舞」と呼ばれる少女たち。

「金棒引き」と呼ばれる、山車を警護する者に似ている。

岩手では盛岡風の山車祭にも必ず付いているそれである。

昔は芸者衆や婚礼前の女性が花を添えたらしいけど、今は小学校生が務めるらしい。

せっかくの化粧も、この炎天下では皆渋い顔。

こちらも人形はあるらしいが、どうやら引っ込めた様子の、成田山交道会。

後部をせり上げるともう一段出て来るらしく、そこに「日本武尊」が載っているらしい。

見えないのが少し残念。

これも成田の分類では山車なんだろうけど、この手のものは飛騨高山とかに見るように、曳山と呼びたくなってしまうのは私だけ?

本町の山車。

載る人形は、大百足退治で有名な"俵藤太"こと藤原秀郷。

土屋の登場。

青半纏が快晴の空との相乗効果を産み出す。

人形は見えないが大穴牟遅神(おおなむじのかみ)。別名「大国主神(おおくにぬしのみこと)」。

天孫降臨系の神話を題材に、山車の四方に彫られているらしく、"神話の山車"とか呼ばれているらしい。

幸町。

見えないアングルが残念だけど、平将門の乱の時、追討軍を送ったとかいう「朱雀天王」が載っている。

関東以西の屋台、曳山、地車(だんじり) などでは、こうして屋根上などに乗って、様になる図が多い。

正に花形と言える立ち位置だろう。

北東北近県にもあちらこちらに屋台まつりは見られるが、このような屋根への乗り方は見られないし、乗ること自体がない場合も多い。

さて、ブログだと比較的スムーズな紹介になっているけど、撮影は大変だった。

脚立も立てられず(というか荷物になるので持参せず)、人の頭越しにカメラを構えるしかない。

場所移動も出来ない人混みなので、アングルがマンネリ化してしまう・・・。

さらに、山車や屋台が通り過ぎると、後続のそれが来るまでの間を見計らって、大勢の人々が新勝寺側に坂を下ろうとする。

総引きで縄を引っ張る際は、通りを目一杯使うので、合間に通り抜けられなかった通行途中の人々が、ただただ両サイドに押し出される。

撮影のためにあらかじめポジショニングしている人たちにとっては、ふたをされるような格好になるので、いい迷惑だった。

山車や屋台が間近に迫って来ていて、「今は通らないでください。ここより外側にでてください」と言われても、通り抜けをやめようとしない人々。

そのために、祭りのマップではあらかじめ迂回路や近道まで案内されているのに、なぜこの状況の今、ここを通り抜けなければならないのか・・・。

そういう通行人には、おばちゃんたちが多かったように思うけど・・・勘弁してくれ(苦笑)

話を山車の観賞に戻そう。

囲護台三和会は「嵯峨天皇」を載せている。

成田の人形は、等身大よりも大きく作られているのがよく分かる。

何やらクリスマスモールや花紙を飾り付けた、ぼんでんのようなものを持って上がってくる子供も。

田町も人形は見えない。

「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」が載ってるらしい。

山車上部の男が和傘を構えるのも、成田の作法なのだろうか?

スカイブルーと傘の青が清々しさを感じさせていいのだけど、額を滴がつたって仕方ない・・・。

後方から声を掛けられた。

鮨詰め状態の中で撮影に夢中だったのだけど、どうやら背負っていたバッグが何度もぶつかっていたらしい。

先述した、脚立に乗る強者の方だった。

バッグには2日分の衣料や充電機器、カメラ備品を入れていたのでパンパンではあった。

促されるように後方に目をやると、人は立っていられないが、荷物を置くことができるくらいのスペースがあった。

素直に私は従った。

続いて仲之町。

東征で有名な「神武天皇」が載っている。

栃木県の大田原でもそうだったけど、関東の屋台や山車には木彫りそのもののものと、こうして彩色や金の細工をしたものとの2種類があるらしい。

きっと、それぞれにそれぞれなりの良さとこだわりがあるのだろう。

人が少し退いたタイミングをみて、坂のてっぺんまで移動。

東町の屋台が上がってきた。

シンプルな外観で、最も王道らしい屋台かも。

神輿がまた登場。

今度は坂を下って新勝寺方面へ。

総引きは終わったようだ。

段々にはけてくる人々。

はて、山車や屋台はいったいどこへ?

この後は、新勝寺の境内で、総踊りといのがあるはず。

ならばなぜ、新勝寺側から坂を上ってきたのだろう?

そんな疑問を抱きながらも、東町屋台がY分岐の左側に曲がっていったのを参考に、その方向へ歩みを進めてみることにした。

続く

 
 
 

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