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沿岸と奥州の春祭り その一

  • 遠林健一郎
  • 2017年6月28日
  • 読了時間: 6分

遅ればせながら、5月4日の事を書きたい。

5月頭の、ゴールデンウィーク中が恒例の「江刺甚句まつり」と、気仙地方特有の式年祭、今年は「猪川町五年祭」とが重なり、持ち前のフットワークで、4月29日よろしく掛け持ちをした。

まず、初参戦である通称"猪川町五年祭"。

正式名称"天照御祖(みおや)神社式年大祭"と言い、大船渡市の猪川町で行われるもの。

気仙地方にはこうした何年かおきに行われる式年祭という祭礼文化が見られ、そのほとんどがその土地の"天照御祖神社"のお祭りらしく、神社名で区別がつかないために、通称が多用されるのではと思う。

下調べしたところ、猪川小学校校庭が元々メイン会場のお祭りだったそうだけど、震災後は仮設住宅に土地を使っていたために、平成25年の前回は規模縮小していたらしい。

今回は8年ぶりに、震災以前の規模に戻っての開催ということで、祭り自体を見た事のない私は余計に期待に胸を膨らませた。

午前中の早くから始まり、昼頃にピークを迎えると思われるお祭りであったため、早起きして即座に移動。

去年のこの時期の気仙地方での式年祭である、通称"世田米四年祭"があった住田町を国道107号で抜け、午前の9時30分前後には大船渡市へ。

国道45号と交わる交差点で、釜石方面へ左折。

猪川町が大船渡のどのへんなのかも、この時まで知らなかったのだけど、どうやら盛川の北東を中心に、国道107号西部もそのエリアらしい。

ちなみに交差点を真っすぐ進むと、8月上旬に"灯ろう七夕まつり"が行われる盛町である。

市内の各町毎にお祭りがあるのだから、大船渡市もなかなか大きな都市だったんだな、としみじみ実感させられた。

河川敷の盛川緑地に駐車場の案内が出ていたので、そこへ下り駐車。

遊歩道の待避所程度のもので、遠方からの観光客を見込んだお祭りとは見てとれない。

地域民や沿民のお祭りなのだろう。

駐車場に入るまでに、遠くにうっすらお囃子の音を聴いた気がし、その方向へ歩いてみる。

沿道には既に地域民が出ている。

御祖神社がある山から、下りて来たばかりと思われる一行は、県道9号から伸びる道路を東へゆっくり進んでいた。

国道45号を渡り、メイン会場の猪川小学校を左に見ながら、行列は道なりに進んでいく。

先頭は幟、次に馬が数匹。

後を獅子舞とその囃子太鼓を積んだ、小柄な屋根付山車が、中井組、前田下権現堂、長谷堂組、富岡組、久名畑組と続いて行く。

囃子太鼓の叩き方は構えから独特で、山車の左右両側面に2~3つずつ付いた太鼓にその数ずつ人がつき、前に進みながら叩く。

進行方向は前であるが、太鼓の正面は横にあるという状況だ。

そして獅子舞は一匹に3~4人は入り、それが各組4匹前後踊る。

釜石市や大槌町で盛んな虎舞は2人で一匹、その分派手でダイナミックな動きが特徴だけど、獅子舞はそこまでの派手な動きはない。

常に頭の先にササラと呼ばれる、獅子頭をあやし誘導しつつ、頭の進む場を祓う者が2名ずつつく。

たいていは化粧をし扇子を持った子供達で、どの組もそうだ。

住田町の時もそうだったし。

先頭に追い付きたい私は、カメラを構えながら足早に進んでいく。

車生活で、なかなか歩く習慣がついていない私には、若干酷だった(笑)

小さなヤマダ電機を左に見、目の前に薬王堂が見える三分岐で、行列は真ん中の道に進んでいった。

何処に行こうとしているのか?

そう思いながらひたすら先頭を追いかける。

緩やかな上り坂で、段々と住宅地めいた雰囲気にもなってきて、あまり祭りらしい場所的雰囲気とは思えなかった。

この上りの道路も、緩やかなだけに徐々にやんわりと私に疲労を蓄積していった(笑)

しばらく歩くと、住宅地も住宅地の中。

長谷堂地区の八坂神社まで辿り着いた。

獅子舞を先導する幟と春らしい共演。

山車組の人達はしばし沿道で休憩。

和やかな時。

午前からビール(笑)

馬も休憩。

馬ってこんなにデカかったっけ?

後方にいた神輿が境内に置かれ、儀式が済むと、各地区の獅子舞が奉納された。

中でも富岡組の太鼓山車は、カラフルな花飾りが鮮やかで、撮り手を意識させる。

沿道でも舞われる獅子舞。

来た通りに緩やかに下ってきた一行。

チューリップとの共演も画になる。

分岐点の薬王堂付近まで下りてきた一行。

沿道で見守る人たちの視線が温かい。

ここから先、行列を追い抜いて、さきに道を戻る。

やっとこさで、猪川小学校まで戻ってきた。

メイン会場の校庭は、既に大勢の人で賑わっていた。

そしてお目当ての囃子屋台も並んでいた。

「震災前の規模まで復活するなら、なぜ囃子屋台の姿が行列に見えない?」と朝から疑問だったんだけど、囃子屋台は練り歩かずに、別行動という祭なのか。

なるほど、確かに辿ってきた道程を振り返ってみると、音響設備を積んだだけの小型屋台ならまだしも、富岡組のような大型のものならこなせまい。

余興披露の出番を待つ人々。

後方に見えるのが、各山車組で最大の富岡組の山車。

造りの作法は日高ひぶせのそれに酷似しているけれど、水沢のそれよりかは、ひな壇部までの高さが無いように思えたし、どこか全体に荒っぽい感じがする。

乗り込むのも祭男児スタイルの男子中心のようだ。

ようやく神輿もご到着。

この後、雅楽の越天楽(だっけ?)がかかり、しばし静かな儀式の時間。

開会の言葉であったり、来賓や主要者の挨拶が続く。

朝から練り歩いていた、獅子舞の一行も並んで出番を待つ。

各組とも、獅子舞から披露の様子。

獅子舞が終わると、手踊りの余興が披露される。

歌謡曲や演歌に合わせて踊るものが多いが、ちゃんとお祭りらしい、お囃子に合わせた踊りもある。

この囃子、昨年聴いた住田町のものとほぼ同じであり、"道中囃子"とか言うらしい。

アナウンスによると、神楽のお囃子を、屋台の移動中に奏でるそれとしてアレンジしたものだそうで、たぶん、気仙地区一帯の式年祭で共通使用されているのだろう。

余興を盛り上げる、中井組の囃子屋台。

富岡組のそれに比べると水沢っぽくなく、屋根の部分が後方に寄っている。

太鼓のおっちゃんもねじり(鉢巻き?)で決まっている。

近くの高校生が談笑しているのが漏れ聞こえてきたのだけど、何でもこのねじりは材質が硬いのか、巻いていると痛いのだそうだ。

獅子舞披露が終わった太鼓山車も下がっていった。

猪川小学校校舎を背景に。

さわやかな快晴で、祭り日和と言えた。

まだまだ各組の余興披露は続くようだけど、江刺甚句もあるし、そろそろ引き揚げねばならない。

ただ来た道を引き返してもつまらないので、陸前高田軽油で帰ることに。

陸前高田の海辺。

新しいお店やショッピングエリアも出来始めてはいるけれど、まだまだ更地も多い印象。

それにしても、子供の頃ちょくちょく連れて来てもらった、高田松原の海水浴場を始め、町がこんなにのっぺらになるとは・・・。

続く

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