日高ひぶせまつりと政岡まつり
- 遠林健一郎
- 2017年6月18日
- 読了時間: 7分
4月29日の祝日、奥州市水沢区で伝統の日高ひぶせまつりが開催。
遅ればせながら、今回はその時の模様をお伝え。

朝の遥拝式から祭りは始まる。
屋台が日高神社までの狭い路地を入れないので、最寄りの大きな通りから参拝。
全町屋台が横一列に並ぶ貴重なタイミングでもあり、撮影者には嬉しい場面だ。

残念ながら私は間に合わず、遥拝式終わりの移動開始直前に着いた。
全町で一番大きいと言われる、柳町の屋台が動き出す。
さて、遥拝式から夜の揃い打ち、相打ちまでは区内のパレードなのだけど、夜に照らし出された屋台をじっくり見れる
ことだし、もう一つ気になっているお祭りが隣県で重なっていたので、一旦離脱し移動開始。

宮城県の栗原市築館の一迫地区で行われている、「政岡まつり」だ。
ネット上にも突っ込んだ情報は載っていなく、当たり障りない表面的な紹介ばかり・・・。
でも、山車祭的雰囲気を捉えた写真がヒットするので、山車祭好きの私にはかなり気になっていた。
どんなもんなのか?
何台出るのか?
高速や国道をとばして辿り着いた先に待っていたのは、上の写真のようなのほほんとした、地域の小さなお祭り的風景だった。
地域民のお祭だろうから、観光客向けの専用駐車場もたぶんないだろう。
そう判断し、最寄りのスーパー駐車場を拝借した。
正午からパレード開始のようで、私が着いたのもちょうどその頃。
一迫地区の中心商店街と思われる通りが一つ封鎖され、沿道の商店や民家の前にはちらほらと観客の姿。
見物客の中に観光客的な雰囲気はやはり見てとれない。

沿道に華を添えるピンクの飾りを横目に見ながら、通りをパレードに向かって歩いて行く。

1台目の山車がやってきた。
花紙で作った花飾りをまとい、平仮名で大きく「あらまち」と書かれた山車。
構造が非常にシンプルで骨組みも露わなその山車には、仮装をした男女がパイプ椅子に座っていた。
山車組関係者や引き子も、私服の上からシンプルな半纏を羽織るなど、ガッツリ気合いの入った祭とは程遠い。
しかし、「だからこの祭はダメだ」とか言うことじゃなくて、この素朴さが地域民にはちょうどいいのだろう。
大がかりな山車や豪華絢爛な屋台、1台何億もするとか言うような曳山・・・を維持管理して、1年にその時だけとはいえ何日も動かすのは、経済的にも人員的にも大変なことだ。
まして少子化が叫ばれ、他市町村や他地域から人手を借りて運営・運行していくのが当たり前の時代。
ざっと見ただけだけど、この地域の町規模から考えても、このくらいの山車で運行していくのが実情には合っているのだろう。

2台目は真っ赤な山車。
この国籍(町名)不明というか、町名を忘れた山車はなかなか気合いの入った仮装の伊達武者2人が先導した。
こちらもシンプルな造りの山車だけど、先程のものより骨組み露わ感はないし、色もすごく鮮やかだ。
山車の位置付けらしいけど、こうして見ると屋根の形状からして屋台風の趣も少しある。

ダガダン!!ダガダン!!
大音量の太鼓の音ですぐにわかった南部神楽は、可愛らしい子供も参加し、舞こそなかったものの通りを練り歩いた。
団体名が分からずじまいだったのだけど・・・。

3台目の「もとまち」の山車がパレードを終え、戻るところ。
花飾りは少なく、細長くどこか頼りなさそうな支柱が気になる山車だった。
その横をパレードの最後方、行参流の鹿踊りが歩いて行く。
岩手では県南に広く分布する"ぎょうざんりゅう"の鹿踊りは、「行山流」と書くのがほとんど。
「振り仮名」ならぬ"振り漢字"は、日本独特の文化だろう。

行参流の鹿踊りが舞を披露する。
団体名も演目名も分からないまま、良いアングルを求めてひたすらシャッターを押した。

赤い山車が戻ってくるところ。
ひょっとして、「しんまち」だったかな。
あらまち(荒町)あるところにしんまち(新町)もあるパターンは多い。
この記事を打ちながら、そうこの日のことを振り返る。
そういえば、ここの山車は全てお囃子がなかった。
音響機器が積んであり、古曲の「さくら」などをかけている。
祭囃子好きでもある私には少し残念だったけど・・・。
パレード全体を振り返ってみると、実に素朴だった。
山車が3台に、南部神楽、趣味活動的舞踊、露出の少ないサンバチーム、行参流の鹿踊り・・・等々。
地域民総出の、出し物オンパレード的な内容で、派手さはないけど妙な温かさがある。
地域の人々に大切にされ、ずっと続いて欲しいと思うのであった。
どこかアットホームな地域のお祭りを堪能したところで、栗原市の町中まで出、昼飯をかっ込んだ後、一目散に奥州市水沢区まで下で戻る。
祭の間だけ無料になる水沢公園駐車場に車をとめ、駅前商店街を目指して道なりに歩いて行く。
袋町の交差点から駅前商店街までの通りは、夜間運行前の屋台が待機する場所なのだけど、着いた時間にはまだ並んでなく、厄年連の踊り手であふれかえっていた。

飛龍陣と言っただろうか。
生バンドを積んだ音響屋台から響くのは、現代風にアレンジされた「水沢あじゃら節」。
エレキにベース、ドラムだけでなくターンテーブルでスクラッチングまでフューチャーされて、この手のものではなかなか斬新。
後でYOUTUBEで調べてみたけど、この 「水沢あじゃら節」って曲なかなかCoolだ。
いわゆる、民謡というか音頭的な曲なんだけど、80年代臭をプンプンとさせるオリジナルトラックは、ディスコティックなドラムで、プログレ染みた変拍子、メタルのような早引きソロも織り交ぜられつつ、横笛や三味線もしつこくなくかぶさってくる。
地元の方が作ったみたいだけど、時代を考えるとかなり懐の深いサウンドのように思える。
祭としても、昭和61年から数年開催されたらしく、たぶん現在秋の「水沢商人まつり」の中で行われている、"YOSAKOI in 水沢"の下地となったに違いない。
水沢あじゃら節を皆で流し踊ることはなくなったのかもしれないけど、祭で流し踊りを楽しむという意味では、夏の「水沢ざっつぁか」が継承しているのだろう。

飛龍陣が駅前方面に移動して通りが開くと、各町の囃子屋台がようやく入ってきた。
夜間運行前の小休止に、屋台から下り始める城内組の子供たち。

駅前商店街は、町印と「打ちばやし」の屋台が通過していく。
囃子屋台よりは一回り小さくシンプルな造りで、元々はこっちの方がメインで囃子屋台は客分だったらしい。

「興和会」の神輿も通りを盛り上げる。
大盛岡神輿祭にも担ぎ手参加していた団体だ。

厄年連は駅前商店街でパフォーマンス。

そうこうしているうちに、囃子屋台には明かりがともり始め、子供たちも着席を始める。
ぼんぼりの明かりは、提灯明かりと相まって幻想的。

駅前三町組を先頭に、揃い打ちに向けて駅前に入り始める囃子屋台。

囃子屋台が勢ぞろいすると、"ゆすり" がされ、揃い打ちが始まる。
各町が右に左に、前に後ろに回転し、日高ばやしを披露。
カメラマンとしてはポジショニングも大切な場面。
いかに多くの囃子屋台を共存させるか。
朝の遥拝式以外では、勢ぞろいした囃子屋台を1枚におさめやすい一番の場面と言えるからだ。

揃い打ちが終わり 、進行方向を向く囃子屋台。
残念ながら、私のコンデジでは白トビしてしまった・・・。

最後の"相打ち" に向けて、元の高豊のビルのところまで向かう囃子屋台。
すっかり風通しの良くなった交差点まで着くと、全町が先頭の駅前三町組と向かい合い、最後のゆすりとお囃子披露を行う。
そして、3本〆で各町内へ帰っていく。
春の防火祈願のお祭りはこうして終了した。
去年に続き思ったのは、水沢テレビさんの人員力(笑)
ローカルテレビながら結構な人員がいるようで、会場の主だったところで立派なカメラを構えていた。
赤いアウターで揃えた女性陣も、去年と同じく見かけた。
立派な一眼レフを手に持ち、会場各所を歩いているのだ。
この人たちはいったい・・・。
完
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